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先日
書いた
このブログ↓
http://dougubaku.exblog.jp/17968164/
でこのカポックのいわれを知りたいと
もう一度伺う
お年寄りなので何度呼んでも出てこない・・・
テレビの音がしていたのでいるのは間違いない
なんども大きな声で呼ぶ!!
ようやく出てきてくれた奥さん
「なんですろう・・・」
「すみませんこの前来た骨董屋です」
「あぁ・・・」
「おじいさんおいでますか?」
と、奥で食事中のおじいさんを発見
「すみません、この前の救命胴衣のいわれを知りとうて又来まいた」
と、私の顔を見て思い出しにっこり笑ってくれた
「ご主人あれは陸軍のものですか?海軍の物ですか?」
「あれは海軍のゼロ戦の救命胴衣じゃ、
あしゃあ千葉県の茂原市にあった戦闘三〇四飛行隊におりましたき」
当時の飛行隊のあり方とかが良くわからないのでなんともだが三〇四飛行隊というのがあったらしい
そこは本土防衛のために25機のゼロ戦が配備されていたらしい。
昭和4年生まれのおじいさんは当時17歳で整備兵だったらしい
「ご主人胸の三つ巴のマークはどういう意味やったがです?」
これ↓
「あれは丸に三つ巴に下に四本線で三〇四飛行隊と言ういみじゃ」
「なるほど!!」と私納得
因みにこの救命胴衣は
敗戦で武装解除になったとき
ゼロ戦の中にあった救命胴衣を高知に持ってかえってきたらしい
そのときほとんどのものが廃棄処分になったのでおそらくあんまり
残ってないろう・・・と話してくれた
そのあと一冊の本を持ってきてくれた
「帰らざる翼」
その表紙には多くの若き戦闘員がカポックを着て写っていた
「ここに写っちゅう人はほとんどが特攻隊で死にました」
とさびしげに話してくれた。
今回改めて、実際に兵役についた人が本当に高齢となり
話しを聞くことが出来なくなっているということを実感
これからの買出しは後世に語り継ぐために
少なくなった戦争体験者の話を聞いていこうと思う。